エピローグ 学生に教えられたダメ教師

私の中国生活をつづる自分史もいよいよ最後になった。舞台は江西師範大学に戻る。

 

A 学生からの抗議メール

事件は、呉紅霞という3年の女学生からEメールが舞い込んできたことから始まった。彼女は私が採点した『中間テスト』の成績について抗議している。

――先生は、私の成績を意図的に悪くつけている。ヒドイ!

とんでもないことを書いてくる学生がいるものだ。

――そのようなことは断じてありません。今後、私を疑うようなメールを出さないでください。

と、私は呉をたしなめるメールを返信した。

すると、呉は引き下がる様子がなくて、「前学期の試験でも意図的に悪い成績をつけていた」という。

私が中国にきて5年、ここ師範大で3つめの大学になるが、こんな不満をいってくる学生ははじめてのことであった。私は、「学生の成績にはいつも公平な評価をしているつもりです。これ以上私を疑うようなメールをだしたら、教務主任に伝えてあなたを懲罰処分にしてもらいますよ」とちょっと脅してやった。

すると呉は、うわべでは「申し訳ありません」と詫びながらも、

――でも、先生は一部の学生を依怙贔屓しています。先生が朱茜さんを好きなことはだれでも知っています。

と、学生の姓名まで書いて私を批判しているのだ。

呉は江西省の田舎町の出身で、かなり頑張り屋で成績は優秀だが、ちょっと情緒不安定で、クラス仲間とはうまくいってないようだ。二年生のときに、相談したいことがあると、独りで私の宿舎に来たことがあった。だが、差し迫った相談事があるわけでなく、身の上話をした。呉は小さい頃に母と死別し、祖父母に育てられたこと、広東省に出稼ぎにいっている父とは年に一度だけ故郷で会うが、あまりしっくりといっていないことなどを話した。私が長話の間、目を窓外に向けてぼんやりと聞いていると、急に「先生、いま何を考えているのですか?」と、呉が探るような目で訊いてくるので、返答に困ったことを記憶している。ちょっと変わった学生だ。

また、彼女からこんなEメールがきたこともあった。とりとめの無いことを書いた後に、

 ――中国の老人はすぐに老けて元気を無くしてしまうのに、先生はとても元気があって素晴らしいです! 

 と。私はこのようなことを書いてくる呉の意図が理解できないので無視した。すると食堂で出会ったときに「なぜ返事をくれないのですか?」と彼女は詰問する。もし、私がもっと若かったら、ちょっかいを出してくる女学生がいるかもしれないが、こんな老人の私にどうしようというのだろうか。全く煩わしいことだ!


 
三年生の後期授業で、私は『日本概論』を彼女たちに教えているが、会話授業と違って、教師が一方的に講義をするだけだから、呉と話をする必要が無かった。そして今、テスト結果で彼女は私の採点に不満を抱き、抗議しているのだ。

自室にまだ採点済みのテスト答案用紙が残っているので、それを見せて納得させて、一件落着にしようとも考えた。しかし、学生の姓名まであげて「依怙贔屓していることは誰でも知っている」とまで言われては、私も黙ってはいられなくなった。

私は、3年生の徐班長に食堂で会って、事情を説明した。

「そんなことを先生に言ってくるなんて非常識な人だわ」と言う徐は、さもあらんと納得した表情を浮かべている。「呉さんは奨学金めあてなのです」

「なるほど、そのためには学業成績が良くないといけないわけだ。しかし、私は彼女に悪い点数をつけたわけじゃないんだが」

「あのひとは、命より奨学金が大切だと思っている人ですからね」

そう話す徐の言葉の端々には呉に対する悪意が上乗せされているように、私には感じられた。

「徐班長にとって、呉さんは何かやりにくいところがあるのかな?」と私。

「そうです。あんな勝手な人は知りません。この前も、3年生のクラス会で、芸才大会でソーラン節の踊りをやろうということになりました。ハッピを買うために、一人10元ずつ出すことを決めたのですが、呉さんだけ『私は参加しないし、お金は出せない』というのです。非協力的な人です」

「でも彼女は家庭的に恵まれていないらしいが」

「とんでもない!」と徐がきっぱりといった。「奨学金でパソコンを買ったし、電子辞書もある。それに彼女の本棚には本がいっぱい置いてありますよ。わたしよりよっぽど金持ちです」

 私は、呉が批判していた幾つかを話して、それをクラス仲間に確かめてくれるように頼んだ。

「でも、徐さん、あまり大げさにはしないで、聴き取りは穏やかに、あくまでも冷静で客観的に調べてね」 

「まかせとき!」と、いって徐が帰っていった。

 私は宿舎に帰ってからも呉のことを考えていた。

 中国の大学は全寮制で、学生は毎日キャンパス内で生活している。3年生は男子学生3人を除いて45人が女学生である。彼女たちは4人ずつ11部屋に分宿して暮らしている。お互いに濃密な関係をつくって、仲間意識が強い反面、女性特有の人間的軋轢が発生することもあるだろう。呉と徐班長との関係も微妙であるらしい。

 

呉がいっている「先生は女学生に対して依怙贔屓している」で、私は西安時代を思い出した。

4年前、教師生活一年がすぎようとしている6月頃に、元会社の友人6人が中国観光で西安を訪問したことがあった。学生との交歓食事会を計画していたが、18人の学生を全員出席させることはできなかった。そのとき、元小田原工場の部長が私にこうアドバイスをしてくれた。

――食事会に参加する学生を、君の好みで選んではいけません。参加者を恣意的に選択すると、必ず不満がおこるものです。女の恨みはコワ~イですよ! 後々の教師生活に支障のないように、くれぐれもご注意を。

 また、女学生二人と『九寨溝&黄龍』へ旅したときには、揉め事があったのを思い出した。こうして過去を振り返るとき、女学生の扱い方には特に注意しなければならない。私は今回の呉の問題で、今の対処方でいいのかどうか、ちょっと不安が出てきた。ふと大学の先輩で高校の教師していた瀬川を思い出した。私はメールでことの次第を詳述して意見を求めることにした。瀬川先輩の返事が数日後にきた。

 

B 先輩からの助言

 ーー森野さん

お久しぶりです。貴兄の中国でのご活躍ぶり羨ましく拝見しました。

小生も、もしあと5年若かったなら、中国へ行って教壇にたってみたいと、元教師の虫が騒ぎだしたほどです。
 さて、ご質問の件について、小生の率直な感想を申し述べます。

貴兄の教師としての仕事熱心さと自負心、そして自信ゆえの対応のようですが、非常に拙劣なやり方をなさっているように思います。教師のやるべきことではありません。永年高校の教師であった小生は、短い期間ではありましたが企業の人事部で働いていた経験もあります。そのことより、企業における部下に対するマネジメントと学生への指導の方法が、根本的に異なると考えております。上司と教師とは違うのです。

あくまでも呉さんを個別に指導すべきです。教師の権限を大上段に振りかざして他の学生たちまで巻き込んで問題を明らかにし、白黒をつけようとするような貴兄のやり方には承服できません。
 今からでも遅くはありません。呉さんを救済してあげて下さい。呉さんとの関係を修復して下さい。
 今回の事件から貴兄は多くのことを学ぶことになるでしょう。小生は、貴兄のお仕事への情熱と真剣な取り組みを改めて知りました。学生たちは森野先生を見ています。森野先生の気持ちを理解しています。後年、呉さんを含めて、教え子たちは感謝の念を持って、あなたを思い返すことでしょう。

小生はそれを信じているが故に、敢えて苦言を呈しましたことをご理解下さいませ。                    瀬川忠夫

 

瀬川は、女学生の扱い方と言った技術論ではなくて、「教師たるものの本分をあくまでも追求せよ!」と要求している。何度も読み返した。このメールには、後輩の私を叱り、そして激励してくれている瀬川の教育者としての情熱がほとばしり出ているのを、私は感じた。改めて、“教師という職業が聖職”であることを教えられた。

ところが、このメールを読む前日に、私は既に徐班長からの中間報告を受けていたのだ。

それは、瀬川のメールにある、

――教師の権限を大上段に振りかざし、他の学生たちまで巻き込んで問題を明らかにし、白黒をつける。

が、着々と進行しており大団円間近になろうとしていたのだ。徐班長は学友の間を駆けまわり、情報を私に伝えに来た。

彼女は自らの情報収集能力の高さを誇るように、そして、私への媚びを巧妙に隠しつつ話した。

「まず、呉さんは授業中に先生が学生の心を傷つけるような発言をしているといっていますが、そのことに関して、二、三の学生も、あると言っていました。ただし、あるかもしれないがたいしたことではないとか、先生は率直な話し方をする人だから気にしないとか、日本人と中国人との考え方の違いがあるから仕方のないことだとか、そんな程度です。他の学生は、傷つけられたとは思わないという人ばかりですよ」

徐はそう言ってから、「先生は冗談が好きですからね、私はいつも笑って聞いていますよ」と付け加えた。

私は、冗談をいったとき、教室の笑いの渦の中に独り取り残されたように、あの据わった目で教師を見詰めている呉の姿を思い浮かべた。教師のユーモアが全く通じない性格のようだ。

「それから」と徐班長が続けた。「先生が特定の人に依怙贔屓していると呉さんが言っていることですが、これには同意見の人もいましたよ」

「私の依怙贔屓の相手は朱茜さんかい?」と私。

「あたり」と言って、徐がハハハと笑った。

 たしかに、私は朱とは普通の学生よりは親しい付き合いがあった。彼女が2年生のとき、ルームメートと2人で武漢大学の花見に行く計画をしているのを小耳にはさんだことがきっかけである。私は中国に来て以来、ホームシックに罹ったことがないが、桜の季節だけは例外である。西安では青竜寺、無錫では太湖畔と桜の名所を訪れて望郷の念にひたったものだ。武漢大学の桜並木も長江流域地方では有名である。私は旅費を負担するという条件で、朱とルームメートとの3人で一泊二日の武漢旅行をした。桜は散っていたが、李白の詩で有名な黄鶴楼や長江大橋などが見物できた。そんなことや、ときどき宿舎へ呼んで日本食を振る舞ったこともある。といっても、それは他の学生と同じ扱いをした過ぎなかったのだが。あるとき、彼女の両親がお礼にと、故郷の土産を彼女に届けさせたが、それを他の学生が見ている教室で受け取ったのはまずかったか? 彼女の最大の特色は、可愛い顔のてっぺんにある、頭頂で結い上げたチョンマゲ様の髪型であった。会話の授業で朱が間違いをしたときには、罰として髷を握って上下させて、皆を笑わせた。授業ではそんな道化役――本人も一緒に笑っているような人――の存在は貴重である。私はそんな愛嬌を兼ね備えている朱が好きだった。

「まあ、先生も男だから、それぐらいは赦してあげましょう」

 徐が言って、ニタリと笑った。女の子のこういうさり気ない仕種は、意外と胸にグサリと突き刺さる。

「ただし、先生は授業の合間の休憩時間に、特定の学生とばかり話していると、不満をいっている人もいるから、気をつけてくださいね」

と、徐が付け加えた。

「わかった、その点は反省して今後気をつけます。しかし、だからといって、私がテストの点数にまで依怙贔屓していると、皆は疑っているのだろうか?」

「だいじょうぶ、そんな疑い深い人は、呉さんだけです!」

 徐班長は、また新たな情報が得られたらお伝えします、といって帰った。 

こうして、呉とのトラブルは私の予想どおりの結論に落ち着きそうであった。必要なら、徐に一、二枚のリポートを書いてもらい、呉に「これが皆の意見だ!」と、突きつければ、一件落着だ。私はそう高を括っていた。

しかし、今の私はそんなことをしているときではない。瀬川先輩のメールが重くのしかかっているのだ。元々学友の中で孤立している呉が、今度のことでますます追い込まれていくようなことになったらどうなるだろうか? 軽率過ぎたかな、と私は不安になってきた。

私は次の週末に徐班長と彼女のルームメートを連れて、市内の韓国料理店へ行くことを約束していた。ちょっとした成功報酬みたいなものだ。だが、今の私には、呉の悪口をいい合いながら焼き肉を頬張るような気分にはとてもなれない。

 だが、瀬川の助言に従って、今すぐ呉のところに駆け寄って手を握るようなこともできそうにない。この期に及んでも教師のプライドを捨てきれずにいた。

C 思いがけない展開

翌日、学生からEメールが飛び込んできた。朱茜からである。今度の事件で、彼女は、呉から私の依怙贔屓の対象とされたのだから、きっと呉に対する恨みつらみを書き連ねてあるに違いない。そう直観しながら私は読んだ。

 ――私は呉さんとちょっと話し合いました。呉さんは「申し訳ございません」と先生に伝えたいのです。先生が呉さんの真意を十分に理解してあげなかったのではないかと思います。呉さんは先生が教師として尊敬に値する人だと思っています。しかし、人と人との相性というものは確かに微妙なものです。呉さんの言葉がちょっと激越かもしれないけど、悪気があるわけではないのです。先生、呉さんを許してあげてくださいませんか。お願いします。

 

私は胸が熱くなった。そして、恥ずかしくなった。本来私がやらなければならないことを、朱がちゃんとやってくれているのだ。朱はなんという心優しい娘だろうか! そして、私の心から呉への不快感は消し飛んでいた。ここから先は、私がやらなければならない。

 2、3日後、3年生の鐘から電話がきた。ある本について教えて欲しいとのことである。

 いま彼女は図書館の日本語関連図書棚の所にいるというので、私はそちらへ出向いた。

 鐘が日本語関連の書棚で見つけた本は『中国日語学習者遍誤分析』(王忻著)であった。日本語の専門用語で言えば、『誤用分析』というもので、中国人が日本語の作文をするときによくやる誤りの原因を系統的に分析している。450頁の大部なのに定価22元(邦貨換算約300円)と安いが、日本で出版されたら二、三千円はするはずである。この本の特色は、千以上の例文が正誤つきで網羅されている点であった。私にふとアイディアが湧いてきた。

「新学期からの作文の授業で新しいことをやってみたい。この本をテキストにして、9月に1ヵ月かけて集中講義しよう。この本から五、六百センテンスを選び出し、夏休み中に私が編集し直して講義資料とするのです。そのためには、君たちで手分けしてパソコンに文を取り込んでほしいのだが、協力してくれるかい」

 それを聞いて鐘も乗り気になった。私一人では大変な作業量だが、女子寮の3年生の部屋が11あるので各部屋で分担すれば、簡単に終えることができるだろう。

「わかりました。さっそく各部屋の代表に連絡しましょう」

鐘がそう言って席を立ったとき、私は呉を思い出した。

「ちょっと訊くけど、呉さんの部屋は誰が担当するの?・・・・・・できたら、呉さんが引き受けてくれるように頼んでもらえないだろうか」

鐘は一瞬とまどいの表情を見せたが、「いいですよ。やってみます」と笑顔に変わった。

私が、さっそく本の中のセンテンスが掲載されている所をコピーして、パソコンに取り込む文にマークをつける作業を開始した。翌日完了し、それを更に数部コピーして鐘に渡した。これで分担作業は順調に進むだろう。

翌日、鐘が報告にきた。

「各部屋への連絡がだいたい終わりました。ただし・・・・・・」

「ただし」と私がオウム返しにいった。「呉さんはどうだった?」

「それが、呉さんはイヤだとは言いませんでしたが、どうも曖昧なままで・・・・・・なんなら、呉さんの分担分を私が代わりにしましょうか?」

「ありがとう。でも、わたしが呉さんに会って確かめることにしよう。彼女は今どこに?」

「たぶん、呉さんは今頃、図書館で自習していると思います」

長い廊下を歩きながら呉のいるはずの自習室を探した。開け放れた窓から中をのぞくと中列の一番後ろのテーブルに呉がいて、隣席の学友と顔を寄せ合ってなにやら話をしているようだった。よく見ると、その学友が朱茜だったので、私は驚いた。以前二人はそれほど親しい仲ではなかったはずだが。最近急接近したのかもしれない。とすれば、いい徴候だ、と私は喜んだ。窓から何度か手を振ると、先に朱が気づいて手を振った。呉も気付いて、私の合図に従って廊下にでてきた。

 呉のいつものクセである目を瞬かせて、窺うような表情で私を見ている。

「鐘さんから聞いた? パソコンへの取り込み作業のことだけど」

「はあ・・・・・・」

「呉さんに引き受けてもらいたいのだけど、どうだろうね」

ちょっと間をおいてから呉が微笑んだ。そして言った。

「もう始めています。2、3日中に、先生にワード文書を添付してメールで送りますから」

「な~んだ、そうだったのか」と私がいって、ちょっと頭をかいた。「よかった!」

あとは、微笑みの交換をするだけだった。

私は、呉に話したいことがたくさんあったが、うまく言葉にならなかった。このときばかりは、65歳の老人が、いきなり二十代の若者にジャンプしたような妙な具合になっていた。

「じゃ、よろしくね」といって、去り際に窓から中をちらりと眺めると、朱茜が意味ありげな表情でVサインを出した。長い廊下を歩き曲がり角で振り返ったら、呉がまだあの場所に立ってこちらを眺めていた。私が手を振ったら、彼女も。

 数日後、呉からワード文書ファイルが届き、一週間後には全員の資料がそろった。こうして六百センテンスがすべて揃った。7月のはじめに、私は担当している授業の期末試験の採点を終えて一時帰国した。

――雨降って地固まる、そして学生に教えられた。

私はそんな思いで日本の夏休みを迎えた。

 呉から暑中見舞いのメールが来た。祖父母と陶器の里景徳鎮へ行ったときの写真が添付されていた。

 朱からもメールが来て、以下のように書いてあった。

 ――じつは、先学期、3人のルームメイトとちょっとした揉め事があり、私は数ヶ月イジメに遭っていたのです。そんな時に、徐班長が中心となり呉さんを責めている原因が、先生と呉さんの問題であることを知りました。わたしは、呉さんが学友の中で孤立している気持がよくわかり、他人事とは思えなくなりました。こうして彼女と私は同じ悩みを持つ友人となりましたが、2人の性格や価値観はかなり違います。ですから私はこれからも呉さんと親しい友人になれるかどうかわかりません。でも、心のある部分で何となく彼女と共有できるものがあります。デリカシーに欠ける人が大嫌いなところなど。ところで、先生は私をとっても依怙贔屓してくださっているのだそうですね。うれしいわ。でも私のテストの点数はよくないぞ、なんとかしてちょうだい(^_^;)

 

D 和解

 新学期がはじまった。南昌はまだ残暑がきびしかったが、既に、作文授業は9月はじめから開始されていた。新4年生は2クラスに分かれ、作文はそれぞれ週に1回の授業だったが、私は教務主任の許可を得て、9月中は2クラス47人合同の集中講義をした。これによりひと月で8回の授業ができる。前学期末に学生の協力を得て集めた例文を有効に使ったが、その中でも私が特に力をいれたのは、日本語特有の『ハとガの区別』と『複文の文法』であった。学生に書かせる作文は10月からだが、それまでの間にも添削を希望する学生は自由作文をメールで提出してもよい、と私は学生に伝えた。

 さっそく送ってきたのは呉である。四百字詰原稿用紙5、6枚相当の作文を読んで、私は驚いた。要約すると、以下のような文章である。

  ――ある日、少女がいつものように公園のブランコを独りで漕いでいたら、子猫の鳴き声が聞こえた。捨て猫らしい。家に抱いて帰ったが、母が飼ってはいけないという。やむなく猫の引き取りの案内を家の前に貼りだした。2日、3日経っても引き取り手がなくて、少女は小猫を可愛がりながら過ごすことができた。が、一週間後に学校から帰ると猫はもういなかった。こうして少女は、公園のブランコに独り揺れる毎日に戻った。

 

少女の孤独で揺れ動く繊細な感情を見事に描いている。更に驚くべきことは、日本語の文章の完成度であった。私が手を加えたのはほんの2、3ヵ所、助詞の程度にすぎなかった。これほどの内容と優れた日本語の作文は、中国に来て以来いまだかつて見たことがない。恐らく、並みの中国人教師より優れているだろうとすら思えた。この作文は自身の子供時代の思い出か? あるいは、掌編小説か? いずれにしても驚くべき作文能力であった。しかし、わずかに3年程度の日本語学習歴しかない学生が、これほどの日本語が書けるものだろうか?――と私に一抹の不安がよぎった。信じたくないことだが、盗作では?

これだけはどうしても解決しておかなければと考えた私は、中国人教師張先生に電話で事情を説明し、会うことにした。彼女は四川大学の修士卒で、教師歴3年の若手教師だが、学生に人気がある。数日後、教学楼の入り口で二人は待ち合わせて、空いている教室に入った。私は、呉の作文をプリントアウトしたA4用紙一枚を一番前の机に腰掛けている張先生に渡した。原稿用紙5、6枚程度だから15分もあれば読めるだろう。私は、その間、教学楼の中庭に出てタバコを吸った。夕陽が秋の気配ただよう校舎の対面を紅く染めている。

教室へ戻ると、張先生が読み終えたところだった。

「どうでした」と私が声をかけた。

「いや~、素晴らしいですね」と張先生が目を輝かせた。「でも、これは呉さんのオリジナルですよ」

「そうですか。安心しました」

と、私は張先生のお墨付きをもらって、我がことのように喜んだ。

「呉さんが2、3年生の時に、精読授業で教えていました。年に数度作文をさせましたが、いつもこんな作風でしてね。あの子は、物静かでちょっと孤独癖のある子でした」

「なるほど。でも、語学の天才はいるものですね。文才もあって、わたしでも敵わない」

「ご冗談を。でも、日本人の先生がそうおっしゃるのでしたら、呉さんは相当なものです」

「どうでしょうか、この作文、中国に作文コンクールがあれば応募させてやりたいですね」

「今は分かりませんが調べておきます。ところで、先生は作文授業をなさっているのですね」

「ええ、これから本格的に作文させる予定にしています。でもねえ、これまでの経験からすると、学生の中にはヒドイものを書いてくる学生が多くて困ります」

「ある本に書いてありましたよ。学生の作文は履き古した『臭い靴下』みたいなものだって」

「なるほど、それは巧いことをいいますね。教師が添削という洗濯をせっせとやって、学生に返してやる」

「でも、また次に、臭い靴下がいっぱい来ます」

「だから、我が宿舎にはいつも悪臭が立ちこめている」

と、私がいって張先生と大笑いした。

 

私は、とてもよくできた内容の作文だ、と呉に感想を送った。

その後も、呉は心の悩みを打ち明けるような作文を送ってきた。私は、新聞コラムにある『人生相談』の相談員になったような気分になったが、丁寧な感想や添削をして返送してやった。

彼女が私にしきりに近づこうとし、ときに不満を言ってきたのは、心の裡を理解してくれる人を求めていたからではないだろうか? だとすれば、私はそれに応えてやらねばならない。こうして、私と呉は作文授業をつうじて、心の通い合う師弟関係ができていった。

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