2 ストレンジャーイン香港

急な旅立ち

中国で三番目の赴任地・南昌市の江西師範大学に9月はじめに来た。ビザなし観光(15日間滞在可能)で中国に入国し、一度滞在延長ビザを取得したが、近いうちに英語科の外人教師と一緒に香港へ行って就労ビザを取らなければならない、と外事処の職員で外人教師の世話係のNがいった。

ビザに詳しい日本人に聞くと、

――就労ビザは、訪問国の外で取得するのが原則です。香港は1997年に英国から中国に返還されたが、今でも香港特別行政区として外国扱いになっている。南昌から近距離にある香港でビザを取得するのが、一番好都合です。

と教えてくれた。

延長ビザが切れる直前の9月末に外事処のNから電話が来て、翌日、香港へ行って就労ビザを取ってこいといわれた。

翌朝、Nが我が宿舎に来て、深圳行きの航空券と、必要書類を私に手渡した。

――なぜ、航空券が香港ではなくて深圳行きなのか? 私独りでいくのか? そして、深圳からどうやって香港へ行ったらいいのだ?

と、私にはいろいろ訊きたいことがあった。しかし、彼からは何の説明もなく、下に空港まで送る大学差し向けの車が待っているから、すぐに乗れ、と急かされた。

 Nは日本人教師だけでなく、英語科の教師からも、すこぶるつきの“不親切なヤツ”との悪評が立っている。深圳にも香港にも行ったことのない私に対してこれだから、聞きしにまさるヒドイ男である。

私は、車に乗る直前に、Nに皮肉をこめていった。

“I’ll miss you.”(おまえがいなくて淋しいよ)

そうしたら、ハンフリー・ボガードを太っちょにしたようなNが、ニヒルな笑みを浮かべて返答した。

“Me, too.”おれも、さびしいぜ)

本当に腹の立つヤツだ。

深圳から香港へ入国

 南昌空港から一時間余で降り立った『深圳空港』はローカルな南昌空港より遙かに大きかった。近代的なビルが林立する街並からも、ここ、深圳市が中国の経済的大発展の嚆矢としての風格を備えていることが容易に分かった。

 空港を出てから、さっそく私のとまどいが始まった。

 バスを待っている列の中にいる若者に声をかけた。中国では中年以上者は英語がぜんぜんできない。若者のなかに(特に女性に)英語の通じる人がいる。

“ Do you speak English ? ”

“ A little ! ”

と、控え目な返事がくれば、しめたもの。

事情を話すと、その女性は「まず深圳火車站(汽車の駅)行きのバスに乗ってください」と言って、切符売り場に案内してくれた。南昌への帰路でも、深圳駅で空港行きのバス停を探すのに苦労していると、やはり若い女性が助けてくれた。英語を話すことのできる若者には外国人に親切な人が多い。

中国でも、やはり英語教育が主流で、英語話者が若者を中心に多い。日本語がそれに次いで人気のある外国語とは言え、日本語が話せる人を町中で探し出すことは、かなり困難である。そのために、日本語教師の私でさえ英語を使わなければならないという、ちょっと悔しい現実があった。しかし、それゆえに、私はあえて教え子には言うのだ。

――鶏口となるも牛後となるなかれ。英語話者なら掃いて捨てるほどいる。が、諸君は、日本語が使える希少価値をアピールして、中国社会の中で特色のある人材として頑張りなさい!

小一時間で駅につき、駅前をウロウロしているうちに、人に教えられるまま陸橋にたどりつき、そこを進むと、だんだん人混みが激しくなっていった。香港行きのバスがどこにあるのかを職員に訊ねるが「先へ行け!」と指さされ、わけも分からないまま先を急いだ。行き着いたところは、どうやら出国検査所(税関)のようだった。いつも国際空港でやっている出国&入国手続きを済ませると、

――国境の長い通路をぬけると香港だった。

というわけで、ここが『羅湖駅』と呼ばれる香港側最初の地点だった。

種明かしを受けたマジック・ショーの観客のように、

――な~んだ、そういうことだったのか!

と心が晴れた。『深圳』と『香港』は国境を接している隣町で、バスに乗るまでもないほど近距離にあることが容易に理解できた。だが、Nがそんな予備知識を何も与えてくれなかったことだけは、恨みに思った。

Money Exchange(貨幣交換所)』の標識があったので、中国の1千元を香港ドル(HK$)に交換した。交換レートは10098とほぼ対等だが、貨幣価値の急変をすぐに思い知らされた。料金標識板に一駅先の電車の切符料金が20ドル(邦貨換算約300円)と書いてあるが、中国生活に慣れている私は2ドルだと勘違いしてしまった。5ドルコインを窓口に出し、切符とおつり待っていたら、ガラス窓の向こうで駅員がなにやら喚いている。後ろの乗客に「20ドルだよ!」と言われてようやく気づいた。

 

話は先に飛ぶが、帰路私は深圳空港から未明に南昌空港に帰着した。空港から市内行きのリムジンバスに乗ったとき、料金、十(Shi、シー)を四(Siスー)と聞き違えて、10元のところを40元も料金箱に入れてしまった。南昌方言に慣れていないことに加えて、わずかに2日間ながら香港の高い物価に馴染んでしまったようだ。30元を取り戻すために、バスに乗ってくる乗客3人から10元づつを集めるはめになり、ちょっとしたバスの車掌の役割まで演じて、乗客から失笑を買ってしまった! 貨幣価値が大きく異なる国を往来していると、頭が混乱してくる。

 

話を香港の玄関口の『羅湖駅』の構内に戻す。目指すビザ発行オフィスはどこにあるのか、とインフォーメーションデスクで訊いても、「そういうことはあっちで聞いてくれ」と追い払われ、また雑踏の中をウロウロ。時計を見ると4時半。お役所は通常5時には閉まってしまうはずなので、まずはホテルの確保をと考えて、構内の旅行社に入ったが、「英語はお断り」とあっさり拒絶された。

――外国と接している場所の旅行社の職員が英語も話せないなんてどういうつもりだ。

と、呆れた。が、中国在住4年目にもなっているのに、中国語が話せない私にも弱みがある。また構内をウロウロ。とある通路の片隅にやはりインフォーメーションデスクがあり職員(Aさん)が愛想良く私を迎えてくれた。しかも、とても分かり易い英語を話す。用件を伝えると、

「ビザ発行オフィスは香港島にあり、ここからかなり遠いですよ」

と、日本語で書いてある香港地図に赤マークを書き入れる。やはり、今日は無理なようで、市内で一泊後、翌朝9時にオフィスに出向くようにと助言してくれた。ホテルの予約で困っていると言うと、Aさんは先ほど「英語はお断り」と言った旅行社に連れて行って、交渉までしてくれるのだ。壁には30ヵ所ほどのホテル名と宿泊料金が貼り付けてある。ほとんどが、千ドル(邦貨1万5千円)以上で、香港はやはり物価の高いことが分かる。今回の香港行きの費用は大学が負担することになっているが、最悪の場合は二日以上の宿泊も予想しておかなければならない。520ドルと最も安いホテルをリザーブした。

次にAさんは、そのホテルへの行き方、そして、翌朝のホテルからビザ発行オフィスまでの地下鉄の道順まで教えてくれた。ホテル予約の斡旋までしてくれたAさんのこのような親切は、手数料(チップ)を払うことの意思表示ではないかと、勘ぐりたくなった。Aさんの好意には、いくばくかの金を支払う価値があると思ったので、私は言った。

「お礼に、おいくらお支払いしたらいいでしょうか?」

すると、どうだろう! Aさんは、

「私は市の公務員です。あなたのような方にお手伝いをするのが私の仕事ですから、お金は要求しませんよ」

と、さわやかな笑顔で言った。

異境に来て、右も左もわからないまま途方にくれている旅行者に、温かい援助の手をさしのべることを毎日の仕事としている人の“誇り”と“生き甲斐”を目の当たりにした瞬間だった。文明国家のシビルサーバントとはかくあるべきだ! 私はAさんをつうじて、香港に好印象を抱くようになった。

それと比べて、大陸の方の中国は見劣りがする。未だに共産主義の残滓が澱のようにたまっていて、国民すべてが公務員の感覚から完全に抜け切れていないから、他人以上に働く必要がない、ましてや市民(客)に対する奉仕の精神は評価の対象になりにくい、つまり給料に反映されないのでサボルのだ。国立大学の職員Nはこの典型と言える。普通の店の店員ですら類似の感覚の者がたくさんいる。

あるとき、西安市の音楽店でCDを買って、キャッシャーで金を払ったら、店員はCDの包みを2メートル離れた私のところに放り投げたのだ。中国人がモノを放ることにあまり抵抗感がないのだが、客を大切にする商道徳のかけらも持ち合わせていないからだと、怒りがこみ上げてきたものだ。客に釣り銭を放り出すような態度もよく見かける。

が、私は中国の将来に期待もしている。外国人の私に労をいとわずに、援助の手をさしのべてくれる英語のできる若者も現にたくさんいるのだから。この人たちが社会の担い手として重きをなすころには、中国もよき方向に変わっていくことだろう。そうであって欲しい。

仕事を終えて帰宅するAさんに地下鉄のホームでまた会った。たまたま私が乗る電車と同じ方向のようで、同行してくれた。一つ目の駅で下りた私を、改札口までついて来てくれて、私が乗り継ぐバスの乗り場を指さして教えてくれる徹底ぶりだった。そうしてから、彼はまた電車のホームへと戻っていった。一度“善人”が現れると善意の連鎖反応が起こるのだろうか。ホテルちかくの停留所がたまたまバスの終着駅だったので、中年の丸顔の運転手は、バスをほったらかしにして、ホテルの近くまで案内してくれた。私はNへの恨みなどすっかり忘れて、地上の楽園(?)香港に酔い痴れてしまった。ホテルの部屋も満足すべきもので、久しぶりに湯舟つきの風呂につかってから、深い眠りにつく。

中国外交部ビザオフィス

ホテルを早立ちして、前日にAさんから教わったとおりに地下鉄を乗り継いで、香港島の地下鉄『湾仔』駅に着いた。ビザオフィスはそこから北の方角にあるはずだ。地上二階をつらぬいて延々と続く回廊が高層ビル間をつないでいる。道路に沿った歩道もあるが、この人専用の回廊を行けば、車道を跨いでいるので、とても快適に歩くことができる。枝分かれしている回廊を訊ねながら歩いているうちに、『華潤大厦』と呼ばれるビルに着いた。

9時開業15分前なのに長蛇の列ができていた。白人・アジア系それにアラブ系もかなり見られる。

今日は、金曜日。翌日から土・日そして101(月)が建国記念日と、3日間オフィスが閉じられるので、本日中にビザを入手しなければ、私は香港に都合4日間も足止めを食らうことになる。Nからの情報不足が悔やまれる。他人をあてにしていると、それが裏切られたときには、結局ひどい目に遭うのは自分である。

1階の入り口で、空港並の荷物の検査とボディーチェックを受けた後、エレベータで7階のビザオフィスに行く。そして、私は窓口でNから手渡された三枚の書類とパスポートを出して『即日のビザ発行』を申し出ると、午後3時半に『就労ビザ』の許可がおりることが分かった。

 

それまでの待ち時間を利用して旅行社へ行き、帰りの『深圳発南昌行き』の航空券を予約した。夜中の1110分発の航空券を800ドルで買った。香港国際空港発の便の値段を訊くと、1,200ドルと高い。だから、Nは香港へ行くのに、経費節減のために深圳行きの片道航空券を私に渡したのだ。私は元サラリーマンだから、経費節減のためならば喜んで協力するのに、N何も言わないから腹が立つのだ。

帰りの航空券を確保したら、あとは、昼食を摂ったり、スターバックスでコーヒを飲んだり、近くを散策したり、公園で一休みしたりして過ごした。

街中の至る処が禁煙になっている。これが先進国の常識なのだろうが、タバコを吸えないのはちょっと辛い。そこへいくと、中国は喫煙者にとっては住みよい国だ。もちろん、中国でもバスの中は禁煙になっているが、地方へいくとそれすら守られていない。乗車口の上にでかでかと『禁煙』と朱記されているのに、くわえタバコで乗車してくる男がいるし、車内には赤ちゃんを抱いている婦人がいるにも関わらず、車掌や運転手までタバコを吸っているのを見たことがある。

ところで、私は香港に対しては旧植民地時代の俗悪なイメージから抜けきれないでいた。一回入り込むと出てこられないという恐ろしいスラム街『九龍城砦』が典型であった。しかし、今は一掃されており、香港は近代的高層ビルが林立する金融やビジネスでアジアの一大拠点として栄えている。改めて観光で訪れてみたい国だと思う。

3時半にビザオフィスにもどり、『就労ビザ』が貼付されているパスポートを入手。これで、晴れて江西師範大学の日本語教師になれたとの実感が湧いてきた。

 

広東方言と日本漢字

こうして、香港での目的を果たした私は、地下鉄を乗り継いで香港側の窓口『羅湖駅』に戻ることになった。地下鉄の自動販売機で、高校生に切符の購入を手伝ってもらい、“Thank you.”と礼を言うと、 “You’ re welcome.”と、さりげない返事がかえってくる。同じ中国の一部であっても、大陸側とはこうも違うのかと思った。

来るときと違って、帰途についたころには、私には心の余裕ができていた。地下鉄の電車の中で『行き先表示図』を見ているとき、ちょっと面白いことを発見した。

『九龍塘』という駅名の発音が、中国で公式に使われている共通語(普通話)の発音と違うのだ。この発音は、香港市民が日常語として使っている『広東方言』によるものらしい。現在、香港は英国から返還されて中国領とはなっていても、特別行政区として独自性が保たれているから、方言が堂々と使われているようだ。

 

漢字の字体も昔懐かしい繁體字だ。たとえば、駅名『樂富』の『樂』のように。これは、日本の当用漢字『楽』や中国の簡体字『』と違う

そして、日本人の私には、『樂』(Lok)と『楽』(らく)が、また、『九』(Kow)と『九』(く)が、それぞれ発音が似ているので、広東方言に親しみを感じた。広東方言は日本漢字の発音に似ているようだ。

これがきっかけとなって、南昌に戻ってから漢字の歴史的変遷をちょっと調べてみた。言語学によると、日本の漢字の多くは『唐時代』に輸入され、日本の漢字の主流として現代まで使われている。たとえば、『目、飲む、犬、行く、口、食う、猿、走る』のように。

しかし、中国は唐末から北方民族の侵入と抗争の中で、基礎的な語彙が変化してしまった。例えば、『め』(目→眼)、『のむ』(飲→喝)、『いぬ』(犬→狗)、『いく』(行→去)、『くち』(口→嘴)、『くう』(食→吃)、『さる』(猿→猴)のように。この変化した漢字は、日本にもあるが、特殊な意味にしか使われていない。

このような北方異民族が漢民族の言語に与えるインパクトは、中原から南方に下るにしたがって弱くなるので、最も南にある南方方言である広東語には、旧い語彙が化石のように現代にも残っている。その結果として、千年以上も前の唐時代に多くを受け入れた現代日本語の漢字と、旧い時代の一部がそのまま残っている広東語の漢字とには、共通性がある。『飲茶』(ヤムチャ;茶を飲む)や『食飯』(セックハン;ご飯を食べる)などはその例として知られている。

こうしてみると、香港の地下鉄の行き先表示板を見て、日本語と広東語の『漢字と発音の共通性』に関する私の直感は、あながち根拠のないことではないことが分かった。                         

 

旅を終えて

深圳空港から南昌空港、リムジンバスで市内へ、そしてタクシーで大学宿舎に帰着した。

私はサラリーマン時代、アメリカに4、5回業務出張した経験がある。ほんの12週間の旅でも単身で仕事を背負っての旅は心労がつのるばかりだった。旅の先々で、その地に住み着いて未知の経験ができれば、どれほど楽しいだろうかと、思うことがあった。いま日本語教師としてそんな望みが叶えられ、中国に住むこと4年目である。しかしながら、外国に住んで未知の経験をするということは、楽しいことばかりではなく、ときには苦労も必然的に伴うのは仕方のないことだ。

今回の旅でも、異境の地をうろうろ彷徨いながら、

――外事処のNがもう少し親切に教えてくれたら、こんなにも苦労をすることはなかったのに。

と、何度思ったかしれない。が、我が心の裡にはもう一人の私がいて、ささやいていた。

――いま未知の世界をアドベンチャーしているんだよ。ハラハラドキドキの一瞬いっしゅんを楽しまなきゃ。

このもう一人の私が辛うじて支えてくれたので、首尾良く旅を終えることができた。振り返れば、この二日間の旅も良き思い出になっているのだ。

 

付記:それから間もなくして、Nは留学生への世話係に変わり、外人教師の世話を陳さんという親切な女性が担当することになった。我々は大喜びであったが、留学生は苦労することであろう。

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