9 作文授業実況中継

―その2 テーマ『私の夢』―

 さっそく私の話が始まった。

 

ここで私の親友――Uとしておきますが――の夢と、その夢が叶えられなかったことによる深刻な挫折の物語を紹介します。
 Uの夢の話には私も関わりがあるので、私の夢もついでに紹介することになります。

Uは高校時代からの友人で、その後も付き合っているので、親友の一人といえましょう。親友とは不思議なもので、3、4ヵ月も経つと、また会ってみたいなと思うようになるのです。
 そして、そんな私の思いが通じたかのように、たいていは向こうから電話がかかってきます。会ったとき、仕事のこと、妻や家庭のこと、女の話――浮気の話じゃないよ!――など、さして重要とは思われない、ことを話題にして、毎回飲んだり食ったりしています。

なんと言うのか、そんな雰囲気の中で友と数時間過ごすのが忙中閑ありで、二人にとっては、心のオアシスになっているのです。
 しかし、Uと私は、一つだけとても真面目な話をしたことがあります。
 それは、二人の『夢』です。
 私の夢は博士になることで、彼の夢は司法試験に合格して弁護士になることでした。
 優秀な人なら、大学院の博士コースに進学すれば二十代後半には博士になれますし、大学の法学部に進学して司法試験対策のための勉強に集中すれば、30歳までには司法試験に合格できるそうです。

 ところが、できの悪い私は、大学院に進学できないまま、大卒で会社勤めをすることになったし、Uも専門が異なる大学の学部を卒業後会社に就職したのです。お互いに本格的に博士や弁護士を目指したのが、三十歳を超えてからなのですから、これじゃ~、まるで陸上の一万メートル競技で、先行集団から一周遅れのランナーみたいで、優勝はとても望めそうにありません。
 二人は目覚めるのが遅かったし優秀じゃないのだから仕方のないことですが、それでも人生には遅れて参加する者にも、努力さえすれば必ずチャンスがあるものです。そう信じてUと私はそれぞれの夢に向かって頑張ったのです。
 チャンスは私の方に早く巡ってきました。
 30代後半にある大学の薬学部へ会社から一年間出向させてもらいました。そこでコネのできた教授の指導をうけながら、会社で博士論文のための研究をしました。平日は就業後の夜に、そして土日にも会社に出勤して研究に励みました。五年間、私はほとんど家庭を顧みずに研究に没頭していたので、子供には冷たいパパだったのでしょう。
 大学に論文を提出してようやく博士号を取得できたときには、もう四十歳を越えていました。大学院でドクターコースを卒業した博士と比べると十数年の遅れでした。それだけに、私は嬉しかったね。自信も湧いてきました。

 一方、Uは会社を辞めて、流通関係会社の管理人などのパートタイマーという不安定で薄給に甘んじながら、司法試験の勉強を続けていました。奥さんが働いて家計を支えてくれたのです。
 彼は性格がとても穏和で、心優しい男でした。子煩悩で、野球少年団に入っている息子の世話をしたり、試合があれば遠征にまでよく同行していたようです。

しかし、そのような優しいパパぶりは、反面では肝心の司法試験の勉強には抜かりとなったのかもしれません。毎年司法試験に失敗しつづけ、気がつけば40代も半ばを過ぎていました。
 その頃、私は久しぶりに大阪の梅田という繁華街のレストランでUに会い、食事を共にしました。彼がいつになく元気のないのが気がかりだった。食事がはじまってしばらくした頃、Uがぽつりぽつりと話し出した。
「オレ、司法試験をあきらめたよ。もう能力の限界を感じたし、家族にもこれ以上迷惑をかけられないからなあ。今度、神戸の小さな会社に勤めることになった」
「そう」と私はいったものの、次の言葉がでてこなかった。とても、就職おめでとう、とはいえませんからねえ。何か重苦しい気分の中で、私たちはしばらく無言のまま食べていました。 

 そのうち、Uがいった。
「森野、これからもオレとつき合ってくれるか?」
 わたしは、驚いた。
「何をいうんだ。当たり前じゃないか! 永いつき合いだ。これからも時々会おうぜ」
 そういったら、いきなりUの手が伸びてきて私の手を握り、
「森野、ありがとう、ありがとう」

といい出すのです。
 皆さん、わたしは、こんなに驚いたことは今だかつてありません。

その瞬間、私はUの気持を察する余裕もなく、単に周りの目が気になりました。横のテーブルの客がジロジロと我々を見ているんだから。私、恥ずかしくなってね、テーブルから手を引っ込めました。

だが皆さん、そのときのUの心の裡を想像してみてください。
 人生を賭けてきた司法試験に合格して弁護士になる夢を断念しなければならなかった、挫折感、無念な思いがあったのでしょう。しかし、私が変わらぬ友情を持ち続けていることがUには嬉しかったのでしょうね。

そんな彼の心を察すると、私は、いま思い出しても本当にせつなくなってきます。

 

さて、今日は、“私の夢”について語るはずだが、“私の友人”を長々と話してしまいました。

以上のUと私についての夢の話から、私の言いたい結論を最後にお話しましょう。

まず、今2年生で、2年後に大学を巣立って社会人になる皆さんは、何かひとつ夢を持ってください。それが、人生を生きてゆく大きな目標となり、生き甲斐につながるからです。

次に、夢の種類については、私やUと皆さんとは生きてゆく世界が違いますから、私にはわかりません。皆さんが自分で考えるしかありませんね。ただし、その夢の難易度をどう見計らうべきか、そして、それをどう実行するかについては、Uと私の話を参考にしてもらいたいのです。

 私は実現がとても難しい夢は持ちませんでした。(と、いいながら、私は黒板に接して立ち、手を挙げた)

私の博士になる夢は、黒板の一番上あたりにあります。このようにつま先だって背伸びすれば、あと10センチほどのところです。これなら、飛び上がったら届く距離です。皆さんの中には、「な~んだ、そんな程度なら、夢というほどのことは無い。単なる目標にすぎないほど簡単なことだ」と思う人もいるでしょうね。そうかもしれません。日本では、理科系の人が博士になるのはそんなに難しいことではない。私の勤めていた研究所には、“石を投げたら博士に当たる”ほど、博士がゴロゴロしているのですから。

 このようにね、わたしは、必死に努力すればなんとか達成できる範囲にしか、夢というか目標を設定しません。一方、Uの司法試験はどうなんでしょうか? わたしの専門と違うのでちょっと分からないのですが、彼の苦労を見ていると博士になるより難しそうです。だから夢の難易度を考えて目標を定めることも大切だと思います。はっきりしていることは、姚明のようなNBAの名選手になる夢は絶対無理だよね。劉君、石君は、彼に憧れているでしょうが、実現不可能な夢は持っても仕方がないよ!

つぎに、夢を持った以上、それを絶対に実現する強い意思を持たなければなりません。夢を絶対実現させてください。これが大事です。夢を実現できるかできないかは、その後の人生を大きく左右することを、Uの話でよくお分かりでしょう。

だから、Bさんの作文のような、

――私の夢は実現できなかった。しかし、努力した過程が楽しくて充実していたから、夢を実現できなくても満足です。

だ、なんて、そんな甘いことを考えているのは絶対にだめですよ。

私は、そう言って、わざとらしく、教師机を掌でピシャリとたたいた。そして、Bを見ると、肩をすぼめて苦笑してから、俯いてしまった。

 

これで、この日の作文授業は終わり、学生がサヨーナラといって、教室を出て行った。

ところが、プライベートレッスンをしている張春梅が、授業の後にひとり残り、私のところに来た。

「先生、“ワンバーダン”という言葉はとても汚い言葉ですから、学生の前ではいわない方がいいですよ」

私は、鳩が豆鉄砲を食ったように、キョトンとして、張の顔を見た。

「なぜ、ワンパターンがいけないの? 日本人は類型的、似たようなことに対して、よくこう言うのだけど、それほど悪い意味はありませんが・・・・・・」

私は、そういいながら、黒板にone patternと英語を書いた。

すると、張がようやく納得したように笑って、黒板に漢字を書いた。

「先生、わかりました。ワンパターン(one pattern)とワンバーダン(王八蛋・・・Wang ba dan)の違いだったのですね」

「王八蛋とは、そんなにいけない言葉なの」

「ええ、ガラの悪い男が喧嘩で相手を罵倒するときに使う、とっても口汚い言葉です。決して女性に対して言ってはいけません」

なるほど、二つの言葉は日本人にはとても似た発音に聞こえる。ちなみに、後日私は、西安市で黒澤明監督の名作『七人の侍』のDVDを買った。三船敏郎演ずる荒武者が、農民を「タニシ野郎!」と罵倒したのが、中国語訳の字幕スーパーで『王八蛋』となっていた。実際には、『王八蛋』はもっと酷い言葉なのだろう。

 

 最後にお断りをしておく。作文の授業で私が学生に話した言葉は、以上書いた日本語よりもっと平易な表現であった。それは、日本語学習歴二年目の学生に理解し易いように配慮したためである。

 

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