2 学生の無礼な行動 

私は、無錫の短大で学生の問題だけでなく教師の指導方法にも疑問があって、1年で辞めることになった。期末テストが終わって7月初旬から夏休みに入り、暑い無錫を逃れて故郷へと急ぐ学生の大移動が始まった。

私が教えていた日本語科の2年生は、新学期が始まると、12月に行われる『日本語能力検定試験』の準備に取りかかる。そこで、私は、大学を去るにあたっての置き土産にしようと、帰国を遅らせて、一週間程度、学生に検定試験の模擬試験の問題集を解くレッスンをしてやろうと考えた。しかし、自主的な勉強会なので、参加学生を限定しなければならない。4月に開催された太湖杯スピーチコンテストへの学内予選に出場した7人に声をかけた。彼らとは学内予選大会前に連日夜遅くまで発表の猛訓練をし、師弟関係が深まっていたし、日本語科の中では学力優秀で積極性もあった。結局、6人が参加を希望した。この中には私の中国語の家庭教師である夏と傅もいた。

レッスン初日、一人の学生がいとこの入院で看病のために欠席したが、これはヤムを得ないだろう。しかし、別のもう一人は、何の断りもなく欠席した。

「ボーイフレンドとデートしているのでしょう」

と、誰かがいった。結局、残りの4人でレッスンとなった。ところが、学生がいきなり「三日間しかレッスンを受けられない」と言い出した。夏期休暇中、学生寮が閉鎖されることが理由だが、急に今日になってこんなことを言い出す学生の態度が怪しく思えてきた。

レッスンは、学生が午前中に問題集を解いておいて、午後から我が宿舎に集まり、私の解説を交えて内容の理解を深める形式で進められた。応接室は、エアコンがよく効いていて涼しいので、真昼の暑さを忘れるに十分なほど快適であった。私は学生のために西瓜やよく冷えたジュースまで用意した。

 しかし、レッスン半ばを過ぎる頃から、アクビをする者がでてきて、意欲的に取り組む雰囲気が感じられないのが、私には物足らなかった。暑い学生寮の環境が悪影響を及ぼしているのだろうかと思いながらも、私は当初の意気込みが空回りしかけているのを感じた。

無礼な学生に怒る

レッスン2日目の午後、定刻になっても誰も現れなかった。遅れて夏が一人でやってきた。沈んだ顔をした彼女は、一人の学生の手紙を私に差し出した。

――両親と会わなければならない急用で故郷に帰りますので、申し訳ありませんが本日欠席いたします。

 詫び状を書いているのだから、怒るわけにはいかない。

「では、他の学生はどうしたの?」と私は訊いた。

「それが、Aさんは友人が来たので会わなければなりません。Bさんは・・・ ・・・で、Cさんはわかりません。Dさんは、たぶん、他の人が参加しないので来にくくなったのでは」

と、夏は苦しい言い訳をした。

「そう。じゃ、夏さんとふたりで始めるか」

 とは言ったものの、私も彼女も気合いが入らない。

「ところで、明日は最終日だから」と私がいった。「夕食を私の部屋で寿司でも作って食べようと思っている。それがお別れパーティになるね、一年間の思い出を話し合いながら」

「えっ、でも先生・・・・・・明日、だれも来ませんよ」

私はようやく事情が呑み込めた。そして、怒りがこみ上げてきた。

「私は学生のためを思って、日本へ帰るのを遅らせてレッスンしているのだよ。それを断りも何も無しにすっぽかすとは、何という態度だ!」

「・・・・・・」

「これが二十歳の大人のやることなの。まるで、小学生じゃないか!」

 夏は皆を代表して私の叱責をうけるかたちになっており、小柄な体がますます小さくなっていた。が、彼女は独りでもこうして参加しているので、責めたところで仕方がない。

二人でレッスンをする気分にはとてもなれず、あとは雑談ですませた。

 こうして、日本語能力試験対策勉強会は2日目で取りやめになってしまった。 

 

私は学生の異常行動が全く理解できなかった。そこで、後日、日中の友人に事情を伝えて意見を訊いてみた。

長安大学時代から懇意にしている中国人教師がメールで自身の経験を交えてこう書いていた。

――私も学生の我が儘行動を経験したことがあります。その時はとても怒ったのですが、何回も経験しているうちに慣れてしまいました。今の中国の子供は一人っ子で、家庭で甘やかされて育っているので、他人から愛されたいが、他人を思いやる感情を持たないという自己中心的な発想をするのです。そして、子供を指導しなければならない、今の社会、家庭教育、学校教育に問題があると言われています。その対策が中国でしばしば議論されていますが、今のところ有効な解決策が見出されていないのです。

 

夏に帰国したとき、中国で教えていた女性教師と会ったので、このことを話した。彼女は言った。

「中国の学生は、恩を受けた教師を、平気で裏切るようなことをしますよ。だから、森野さん。あなたは学生にとても入れ込んでいるようですが、ほどほどにしておかなければね」

 

また、永年アメリカに住んで異なる価値観の中で生活している友人が、異文化の視点からこうメールで意見を寄せてくれた。

――中国で初めてカチンときた様ですね。これであなたも本格的に外国生活を経験したことになります。あなたが何時かきっと日本人の常識が外国では通用しないことに気づくようになると、私は予測していたのですが、それが当たりました。あなたは、学生に入れ込み過ぎです。海外生活者の私からのアドバイスは、“お付き合いはほどほどに”です。

 

 これらの意見を聞いていると、外国人と日本人との価値観は相容れないものがあるようだ。しかし、こと若者の自己中心的で我が儘な行動に関しては、「日本の若者も似たようなものだよ」と醒めた意見をいう日本人の友人もいる。
 
私は、中国で教師を始めてまだ3年目の未熟な教師である。しかし、日本語教育では単に“日本語をあやつる技術を教えるだけではいけない”と考えている。だから、作文の指導でも、文法・重要文型・用語の指導だけでなく、内容豊かな作文が書けるように指導してきたつもりだった。それによって、将来性ある若者が心豊かな人に育ってくれることを願っていたのだ。しかし、この大学では指導が至らなかったためか、教育効果が挙がらなかったようだ。この学校を一年で辞めようと決めたのは、間違いでなかったと思う。私は今、何のためらいもなく、学生に「さようなら」と言うことができる。

ただし、2日目から欠席する理由を手紙で書いてきた学生は、後日、「先生は、そろそろ帰国される頃だと思います。先生に、お気をつけてお帰りくださるようにと、お伝えしてね」と夏に伝言のメールを送ってきたそうだ。夏といいこの学生といい、二十歳の大人の良識を持っている学生もいたことが唯一の救いである。

 

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