まぼろしのラーメン

■私をとりこにした屋台のラーメン  

網走市は北海道の東北部にあり、緯度は中国吉林省にほぼ等しいので冬は厳寒の地であった。父は独立して、小さな衣料品店を経営していた。常連客の一人がラーメン屋のオヤジである。貧乏で店舗を構えることなどできず、リアカーの屋台がひとつあるだけだ。

ある日、彼が父にいった。

 

「とても買掛金を払うことができません。すまんことじゃが、ラーメンを食べてもらい返済に充てるわけにはいきませんか?」

屋台のちぢれラーメン

 

秋も深まったある夜、父は私と妹をつれて、横丁の屋台のラーメン屋へいった。テントで囲まれた屋台の外には仄明るい提灯の灯が点り、風にゆらゆらと揺れていた。オヤジが湯気のたちこめる熱々のラーメンを差し出した。とたんにコショウの香りがぷーんと我が鼻腔をくすぐり、食欲をそそった。このいい香りのものがラーメンというものか?

スープを一口すする。うま~い! そして麺を一口、うまーい! その麺は黒人の髪の毛のようにちぢれている。冷たい北風がぴゅーぴゅー吹いて、我が身体をこごえさせていたが、熱々のラーメンが体内をじわっと温めてくれる。

――なんて、幸せなんだろう。この世にこんなうま~い食い物があるなんて知らなかった!

父に連れられて冬中、何度もこの屋台に通った。こうして私には、たまたま巡り合ったこの屋台のラーメンが故郷の忘れがたい思い出の味となったのだ。

私が中学二年生のときに、我が家は京都に移住した。四十年も住んだこの大都市は、悠久の文化と歴史的名所旧跡がたくさんあるし、伝統的美食もあった。しかし、ことラーメンに関するかぎり、京都のいかなるラーメンといえども、少年時代に食べたラーメンに勝るものはない。 

 

■「屋台のラーメン」の味、その後

今日日本は豊になり、食べ物に関しては飽食の時代と言われている。グルメブームの中、世界中のどんな食品でも望めば手に入れることができる。私は未だにあの少年時代に食べた屋台のラーメンが世界中で一番うまいと信じているが、

――あの屋台のラーメンが、いま目の前に出たら、本当にうまいと言えるのか?

と問われたら、ちょっと自信がぐらつく。

今を遡ること60年も前、北辺の地にいた私たちは貧しかった。だから、たまたま巡り合ったあの屋台のラーメンがことのほかうまかったにすぎないのではないか、とも思うのだ。 

とすれば、あのラーメンの味は私だけの思い込みであり、それが故郷への懐旧の思いとつながっているだけかもしれない。 

 

京都に移住してから、十数年後のことである。会社に就職していた私は、或る夏に仲間数人と共に日本アルプスに登山した。

列車で飛騨の高山駅に夜中に着き、翌朝まで駅の構内で寝ていたが、寒さのために真夜中に目を覚ましてしまった。空腹を覚えて、駅前の屋台のラーメン屋へ行く。 

高山駅で幻のラーメンに再会
1980年頃、ラーメン代が200円だったか記憶に定かでない。

  

 出てきたラーメンを見ると、麺がちぢれているではないか! 胸さわぎがして、一口食べかけたとたんに、あのラーメンとまったく同じ味がして、私は感動した。網走の屋台とのれんが、目の前に現れたように思った。網走時代から十五年の歳月を経て高度経済成長期にあり、我が食生活も豊かになっていたにもかかわらず、我が舌はうまいラーメンの味を確かに憶えていたことになる。
 

こうして、 網走ではじめて巡り合い、飛騨高山駅前で再会した屋台のラーメンは、その後、杳として消え去ったままである。だが、またいつの日にか、何処かであの味と形に巡り合えるかもしれない、という期待に胸はふくらむ。そのときには必ず網走が甦り、暗闇の中の屋台には、仄明るい提灯の灯がともっていることだろう

故郷は遠きにありて思うもの