大学生活写真集

 昆明は毎日コバルトブルーの空から陽光がさんさんと降り注いでいる。朝小雨まじりでも、日中には晴れ渡るのは、当地が1,900mの高原だからなのだろうか。

 

●学生の出身地

一年生の出身地
二年生の出身地

この大学の特色は地元雲南省だけでなく、全国から学生が来ている点である。中国人にとって昆明は春城(常春の国)としてあこがれの地であるらしい。各省の名門国立大学に入れないのなら、私立大でも昆明で暮らしてみようか、といったところだろう。

 なお、中国政府は大学入試で少数民族優遇政策をとっている。雲南省には少数民族が多い。ここの大学にも優遇策で入学してきた少数民族出身者がいる。

 しかし、大多数の漢民族にとってはそれが差別だと不満に思う者もいる。アメリカの大学入試でマイノリティ優遇制度に不満を抱く白人が不公平だと訴えた裁判があった。その是非に関するテーマを作文授業で与えて書かせたら、少数民族と漢族との間で、意見が分かれたのが興味深い。日本では考えられない民族問題が中国にもあるのだ。

少数民族の居留地
2年生の中にいる少数民族

 雲南省にはこの省にしかいない少数民族が15族もおり、イ(彝)族は400万人もいる。私が旅行した麗江にはナシ族(納西族)、シーサンパンナ(西双版納)にはタイ族(傣族)が多かった。2年生の教え子の中にも少数民族がいるが、私には顔を見ただけでは漢族と区別がつかなかった。

少数民族イ族の飾り物

●便利な名刺カード

学生カード

何処の大学でも会話授業では名前と顔写真入りの名刺を作ることにしている。この大学でも1,2年生の授業で名刺を作った。学生の顔と名前を早く覚えるために有効だし、名刺をシャッフルして任意に選んだ学生に私の質問に回答させることにしている。名刺の裏には学力など学生の特徴を記入しておくこともできる。

煙突のある炊鍋
炭火で炊く炊鍋料理

大学から我がアパートへ行く途上にある炊鍋料理店 2年生の班長と学習委員と三人で行った。鍋の中央に煙突のようなモノがあるのが特色。具材は火鍋と同じで、この店のスープはとても辛かった。

雲南特色料理

 

大晦に莫君のお宅に招待

正月に爆竹
空気汚染防止のために政府は爆竹を禁止しているが、庶民はお構いなし。春節を迎えるのに爆竹は欠かせないそうだ。
大晦に莫君宅に招待
大晦の日、2年生莫君のお宅に招待された。屋外からは、爆竹の音が絶え間なく聞こえてくる。食卓には珍しく取り箸と取り皿があった。私のためではなく、莫家の習慣だそうだ。祖父母、父が医者の家庭である。

● 結婚披露パーティ

中国人の結婚披露宴
日本語科男性教師高さんの結婚披露宴 日本に負けないほど盛大だったが、中国の酒がでるがビールが無いのがちょっと不満。

●中国の交通事情

中国の交通事情
昆明市内のあるT字路 昆明の路は他の中国の都市と同様に広く、路の両脇には自転車路まである。このT字路には交通信号がないが、信号があっても交通マナーは同じである。この図中で直前を通り抜ける車に「危ない!」と叫んでいる田舎者(?)は、日本人の私だけで、中国人は当たり前と軽く受け止めている。

 

 

近年中国ではモータリゼーション(自動車の大衆化)が急速に進んでいる。昆明は中国でも三番目に(おそらく、上海・北京に次ぐ)車の多い都市なのだそうだ。私が住んでいる高級団地でも富裕層の住人が建設当初の予想を遙かに上回る速さで自家用車を持ちだしたので、駐車場から車があふれ出て、団地の歩道まで占拠するようになった。 

 

私のかつての教え子で現在広島大学の大学院に留学中の陳さんが、日本のドライバーのマナーの良さに驚いている。

 

――ドライバーは横断歩道をゆく歩行者が渡りきるまで我慢強く待っている。

 

と。一方、中国ではドライバー(強者)が歩行者(弱者)をいたわるような発想が全然感じられません。

 

わたしのアパートの近くにT字路がある。車道上の横断歩道(白いマーク)を歩くか自転車で渡ろうとすると、左折右折する車が私の直前を通るので、とても怖い。ときには、後ろから「そこのけ、そこのけ」とばかり、クラクションを鳴らして私を追い立てることもある。つまり中国では、歩行者優先ではなくてドライバー優先の社会なのである。

 

このような交通事情を経験していると、ドライバーはなんという横着者と思いがちであるが、実は歩行者も信号無視をしたり、横断歩道でないところを平気で(大胆に!)横切ることがよく見られるのだ。つまり、中国ではドライバーも歩行者もかなり横着者(どっちもどっちで、共に悪いように)に思える。

 

● 中国の大学における『教務課』の存在
 中国の大学における権力(管理)機構として、私が所属する外国語学院の上に『教務課』と『外事処』が絶大の影響力を及ぼしている。外人教師の人事権を握っている『外事処』については、西安編(長安大学)でも紹介したが、私が解雇通告を受けるのはいつもこの部署からである。
 一方、『教務課』はその存在が曖昧で、長安大学時代には私には具体的な姿が見えなかった。

ところが、『無錫職業技術学院』(短大)で友人の若手教師からその存在を知らされることになった。
 その若手教師がある日、教壇の椅子に腰掛けて授業をしていたら、たまたま視察にきた管理部門(おそらくこれが教務課なのだろう)の係官に見とがめられたとのことだった。
「たまたまその日は、午前も午後も丸一日授業をしていたから疲れますよ。ちょっと椅子に腰掛けたぐらいで、叱られるのですから、我々はたまったもんじゃない」
 と、若手教師は私にぼやいた。
 どうやら、『教務課』とは、教師の教育活動全般を管理指導する部門らしい。私はこの短大ではじめて詳細な授業計画を提出させられたが、提出先は『教務課』だったようだ。ただし私の場合には、この学校でPPTや画像、文書をパソコン画面で見せながらの授業をやることが多かったので、椅子に腰掛けていても咎められたことは無い。

 第三番目の赴任校
江西師範大では『教務課』の存在など気づきもしなかった。

 ようやく第四番目の『上海理工大学』に来て、教務課の存在が強く意識させられた。
 前任の師範大のときに作成した『LN音識別テスト』をこの学校でも、精読授業の教師の協力を得て1、2年生に実施しようとした。『オーディオ化したLN音識別テスト』は聴き取りテストなので、オーディオ装置が完備したLL教室で実施したいと1、2年生担当の教師に希望を伝えたところ、
「教室を勝手に換えることは、教務課から禁止されているので、できません」

と、申し訳なさそうな返事が返ってきた。
 『LN音識別テスト』は、学生の発音指導に役立てるだけでなく学術研究的意義もあるので、オーディオ装置のある教室で学生全員に同一条件で行うことにより客観的なデータを得たい、と私は思った。それなのに、教室の変更を認めないと言っている『教務課』とは何と融通の利かない権力組織なのだろう。やむなく、普通の教室でテストを実施した。中国人教師は私のためにわざわざ教室変更の手続を『教務課』にしたくない、「触らぬ神に祟りなし」と言った感じで、教務課には好印象を抱いていないらしいのだ。では、管理する立場の教務課は現場の教師に対してどのように思っているのだろうか?

 ほどなく『教務課』の責任ある地位の人物と話し合う機会が、たまたま巡ってきた。
 ある立食形式のパーティで顔を合わせたその人物が日本への留学経験があったので、日本語で話し合える絶好のチャンスとなった。わたしは、上の事情を説明して意見を求めた。その教務課の責任者はいう。
「教務課は規則をつくって教師を管理しています。確かに教師が勝手に教室の変更することを禁じていますが、事情次第では流動的に対応する用意があります。あなたのテストの目的なら、LL教室を使うことに問題はありません。教務課に教室変更の許可申請をしてくれれば簡単に我々は認めましたよ。なぜ、現場の教師が我々に申し出ないのでしょうかね、それが問題です」
 こうして私は、話せば分かってくれそうな鷹揚な態度の『教務課』と、管理づくめの『教務課』への不信感がつよいらしい現場の教師と、どちらの言い分が正しいのか――判断できなかった。上海理工大では『教務課』の実態をそれ以上知る機会がないまま大学を去った。が、『教務課』が一般の教師にとって煙たい、しかし従わざるをえないやっかいな存在であるらしいとのイメージだけは残った。会社における『人事部』よりは、遙かに権力のある組織のように思えた。 

教師を支配する教務課

 5番目の赴任校『雲南大学滇池学院』で『教務課』のイメージがもっと具体的に見えてきた。

この大学でも我々教師は『教務課』から決められた教室で、決められた時間に授業をすることを要求されていた。学期末が近づいた6月に、私は最終の授業を止めて学生の期末テストの自習時間に充てさせようとした。もちろん学生は喜んだが、日本語科の教務主任に了解を得ようとすると、教務主任がとんでもないことだと言った。

「教務課が教師の授業態度を監視するためにときどき見回りに来ます。もし、教室が空っぽになっていることが分かったら、先生はおとがめを受けることになりますので、授業は必ずやってください」

 私は直属の上司の了解を得ておいたらいいと思っていたが、教務主任にはそのようなことを決める権限がないらしい(教務課の絶大な権力の下では現場の責任者など取るに足らない存在なのだろう)。江西師範大で私は、許可なく教室を離れてキャンパス内の湖畔の芝生で授業をしたり、学生を我が宿舎へ呼び寄せてテストやったりしたことがしばしばあったことを、既に南昌編で述べた。一方、昆明のこの学校では、そんなことをするのは校則違反で極めて不謹慎な行動ということになるのだろう。

 

 わたしは後期授業から2年生に加えて1年生の会話授業も担当することになった。1年生は旧キャンパスからスクールバスで往復2時間半も離れている郊外の山中にある新キャンパスにいた。私は旧キャンパスの2年生とは、我が宿舎で食事会をしながら交流を深めているが、遠く離れている1年生との交流は容易ではない。そこで一年生全員を一堂に集めて寿司パーティをしようということになった。39人もの大人数では、上質の米の買い出しや大型炊飯器の調達など、これまで未経験なことばかりで大変だったが、はじめて寿司を作り食べることになった学生は大喜びした。 

学生は初めて寿司を作り食べる
寿司を知らない学生のために、あらかじめ「巻きずし作成手順図」まで送った

私はパーティでビールくらい飲めるように学生に準備させようとしたが、それを知った日本語科の李先生がいった(李先生は主に新キャンパスの学生の授業を担当している)。

「キャンパス施設内での飲酒は禁じられていますので、先生、お止めください」

 新キャンバスは建設途上にあり、現在は1年生しか住んでいない。だから、パーティ会場も普通の教室を転用したのだから飲酒ができないのは仕方が無いと納得した。そこで、私は教師用宿舎へせめて男子学生だけでも呼んで、ビールを飲みながら二次会をやることにした。私は水&木の両日1年生を教えているので、毎週新キャンパスの教師用宿舎で一泊している。学生とそこでビールを飲むのなら問題はないだろうと考えたのだ。

 ところが、これも李先生から、

「我が校では宿舎でも禁酒になっています。禁を破って暴れた学生が退学になったことすらあります。ですから、先生、お止めください」

との助言で取りやめになってしまった。

李先生は私への悪意ではなく、大学当局からのお咎めを受ける恐れを未然に防ごうという私に対しての好意によるものだった。

 それは分かってはいるものの、私にはこの大学の姿勢に大いに疑問を抱いた。そもそも大学生が宿舎で酒すら飲めないような管理体制など、日本では聞いたことがない。しかも、今回は教師の私が学生を誘おうとしているのだ(教師立ち会いの下で酒を飲むことに文句があるというのか!)。

 この大学を去る6月末に、私は大学差し向けの車で早朝に昆明空港へ行くことになった。男子学生二人が空港まで見送ってくれることになったので、私は前夜に学生二人を我が宿舎に泊めることにした。最後の晩に別れの酒でも心ゆくまで酌み交わしたいと思った。

――友よ、更に尽くせよもう一杯の酒。あす、昆明を去ったら二度と会えないのだから。

といった私なりの思い入れがあったのだ。しかし、これに対しても日本語科教務主任から、

「学生の外泊は禁じられていますので、できません」

と言われて取りやめになった。

 上の『宿舎での飲酒』といい『外泊』といい、大学生にこの程度の自由すら認めないこと、さらに学生と一緒にやろうとしている教師にすら許可を与えないような教務課の規則は、私には信じがたいほどの愚かなことに思えた。

 私は半世紀も前に日本で大学生だった。地元京都の家から大学に通っていたので、地方出身の学友が大学の宿舎生活をしているのが羨ましかった。だから時々、寄宿生の部屋に押しかけて酒を酌み交わし歓談をしたものだ。若気の至りで羽目をはずして舎監から怒られたこともあるだろう。しかし、そんな自由な雰囲気の宿舎生活の中で、学生が交遊しながら、終生の親友を見つけたり、社会人としての良識を身につけて行くのだ。大学側も学生の自主的意志を尊重していた。

 それと比べて、『宿舎での飲酒』すら認めないがんじがらめの管理体制を布いているこの学校は、大学と呼べるのだろうか? また、問題なのは教師すら大学当局から信頼されていないということだ。更に問題があるとすれば、大学から受けている理不尽な扱いに甘んじて、改善を求める気概を持たない教師側にもあるのではないのか。

 新キャンパスで1年生の会話授業の期末テストをしたら、その直後に教務課の職員が来て、私のテスト評価表を検め、この日試験を受けた学生の名前をチェックしていた。これほどの教師不信の態度を見せつけられた私は極めて不愉快だったが、これは私が外人教師だったからだろうか? 私は日本語科内では教務主任をはじめ中国人教師からの信頼は得ているが、後述するように外国語学院長とは少々もめ事を起こしている。だから、上のような教師不信の態度が私一人に向けられたものならヤムを得ない。が、そうではなくてこの大学の教師一般への不信感があるようにも思えるのだ。もしそうなら、このような管理体制の中では、誇りを持つ教師は教務課に反発して、こんな息苦しい大学では働きたくないと思うことだろう。一方、気の弱い若手教師たちは、萎縮してひたすら規則に順う消極的な姿勢に陥らないだろうか。いずれにしても、規則ずくめの教務課の管理体制の下では、学生を育てるためのよりよい教育にはつながらないように思えてならない。

 

虎の威を借る学院長

●虎の威を借る学院長

後期の期末テストを1ヵ月後に控えて、私は外国語学院の院長に期末テストの計画書を提出するよう求められた。前期にもあったので、これが当学院のやり方なのだろう。
 後期の授業で私は1、2年生の会話と2年生の作文を担当している。本大学の欠陥である会話授業が週に1回しかない上に、1年生には一クラス39人もの学生を教えていた。私は、二クラスに分け、さらにもう1回自主授業を加えて行き届いた会話授業を心懸けていた(このことは本文でも既述した)。わたしは、このことで大学当局に恩着せがましいことを言うつもりはなく、勿論給料を増やしてくれと言ったことはない。行き届いた会話授業をすることが学生のためであり、同時に日本人教師としての私の遣り甲斐でもあるのだ。だから、せめて私のそんな努力だけは大学当局から理解してもらいたいとの思いは当然あった。
 当校はテストについても『教務課』からかなり厳しい規制がある。会話能力はペーパーテストだけでは評価が困難である。しかし、面接テストをするとなると、一人15分の短い時間でも、1年生39人、2年生48人の合計時間は膨大なものとなる(会話授業の宿命)。わたしは、2年生については期末の第15と16週の二回の正規授業だけでなく自主授業の時間もテストに充当したが、それでも時間が足らず、作文の授業も一日使うこととして、計画書を学院長に提出した。2年生には会話と作文を担当しているので、両科目間のやりくりは十分可能だと考えたからだ。
 しかし学院長は、
「異なる科目の授業まで使ってのテストは教務課が認めない。会話のテストを作文の授業時間に行うのはダメだ!」
 と、私のテスト計画を教務課へ打診することもなく却下した。

学生に行き届いた教育をしたいとする学院長と私の思い(目的)には何ら違いはないはずである。が、その手段が違うのだ。学院長は一切の例外を許さず教務課の規則を杓子定規に当て嵌めることがベストの方法だと信じているようだ。一方わたしは、規則の適応には例外を許す柔軟な対応があってこそ、行き届いた教育ができるのだと考えている。意見の対立があれば、雇われ外国人の私は上の意向に従わざるを得ない。しかし、私はこれまで教務課の理不尽で教師不信の管理体制に何度も不愉快な思いをしている上に、今度は外国語学院長の横やりである。それは教務課の威光に便乗して自分の権威を振り回しているように私には思えてならないのだ。この大学は上も中間管理職もどうしようもない頑迷固陋な権威主義者で固められていると感じた。

外国語学院の院長の意向を私に伝えた日本語科教務主任は、最後にこういった。

「教務課は時々授業の視察に行くので、もし科目の異なる授業をしていることが分かったら、森野先生が責任を追求されることになります。これは大学全体を管理するために作られたルールです」
 これは私への虚仮威しであり、おためごかしの説得でもある。
私はとうとう堪忍袋の緒が切れた。

「分かりました。試験計画を学院長の指示のとおりに変更します。ただし、私は今後一切の自主授業を止めます!」

「もちろん、自主授業を中止することは先生のご自由です」

 と、教務主任が売り言葉に買い言葉のようにいった。

 こうして、私は友好的な関係にあった日本語科の教務主任とも気まずい関係になってしまった。

 

 私は中国へ来て5番目の大学ではじめて厳しい管理体制を知ることになった。それは私にとって実に息苦しい不愉快きわまりないものであった。しかし、大学の諸規則など、どこの大学にも似たようなものがあるのだろう。要は、大学がそれを学生や教師に厳格に要求するかどうかの程度に大きな差があるのではなかと思うのだ。早い話が、教師が自主的に教育活動に勤しみ、学生がすくすくと育っていきさえすれば、大学が教師や学生に厳格な規則を要求する必要など、全くないのだ。逆に、諸規則を振り回して厳しい管理をする大学ほど、教育効果がすこしも上がっていないのだ。教務課や学院長は教育効果が上がっていないことを知ってますます厳しい管理をしようと心がける。そんな人々は熱意のある指導者に見えても、実は人間観の狂った愚か者だと思う。これが、私が中国で5大学もの多くの大学で過ごした経験から見えてくる一つの真実である。

それを知ることができたことと、一年間生活を共にした二年生の中に、数は少ないものの私の指導に喜んでついてきてくれた学生がいることを思えば、この大学に在籍したことは、他大学と同様に貴重な経験である。そう考えると、やっぱりこの大学に来て良かったと思う。

 

 わたしは、いま日本に帰国している。先日京都の大原三千院を訪問した。バス停から三千院への長い細道を歩いていると、路傍に無人の野菜売り場があった。地場産の新鮮な野菜が袋に詰められており一袋百円と書いてある。客が袋を取り、硬貨を箱に投入することになっているようだ。売り手と買い手の信頼関係で成り立っているこの無人売り場こそ、三千院への参道にふさわしい心温まるものに感じた。大学における管理する者と管理される者との関係もこうでありたいと思う。

 

 

 

 最後にこの大学における我がささやかなる成果であったスピーチコンテストへの取り組みをご紹介します。そのリポートにご興味のある方はここをクリックしてください

 

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