第五回彩雲基金スピーチコンテスト報告

 わたしは雲南大学滇池学院に赴任一年目の日本人教師で、学内予選で選ばれた代表者二名の発表の指導をした。大会当日の模様も含めてご紹介する。

 わたしはこれまで中国各地の4大学で教鞭を執り、いずれの大学でもスピーチコンテストの指導に関わった。会話と作文の授業を担当し、またネイティブ・スピーカーである日本人教師は、スピーチコンテストでの指導が重要な役割であり、そのことは当校でも同様である。 

 

 まず、本大会のテーマ『希望』について私の率直な感想を述べることからはじめたい。

 このテーマを知ったとき、日本人の私は、直ちにあの『東日本大震災』を思った。あの大災害から二年が過ぎた今でも、被災者はもとより同胞の苦しみを知る我々日本人が一様に『希望』の二字に託した復興の願いを抱いている。今の日本で、この言葉ほどタイムリーなものはないであろう。いや、これから、3年後も、10年後も、復興が成就するまで、『希望』は被災者の心の中にあって、励まし続ける言葉であろう。

 しかし、である。

 醒めた目でみれば、このような意味の『希望』は日本人の問題であって、外国人にはそれほど切実な言葉として受け止められないのも事実である。なるほど、震災直後にはあまりにも無惨な状況が世界の耳目をひきつけ、多くの同情が寄せられたものだが、時の経過と共に日常の忙しさの中で関心がうすれていくのもまた、世の常であろう。

 このテーマを誰がどのような事情でお決めになったのかは、寡聞にして存じあげません。が、おそらく、日本人のどなたかが決めたのであろうと推察するのだ。だとすれば、自分達にとって切実な思いを日本より遙かに離れた中国の雲南の地にいる学生にも「日本人と同様に『希望』の意味を深く理解してくれ」と求めているようなものであり、それは無理というものだ、と思えてならない。私の誤解・曲解ならお詫びしなければならないが、そんな臭いがして、このテーマには違和感を覚える。 

 

 しかし、テーマが決まった以上、それに沿って、出場者は草稿を練らなければならない。

 我が校の学内予選大会を聴いていて、はたせるかな7、8人の発表者は発表にとても苦労していたようで、魅力ある発表とはならなかった。

 その中で唯一、「これは巧い。いけるぞ!」と思った発表があった。

 その発表者(A)は、震災地を訪れた英国の映画監督が撮った『津波そして桜というドキュメンタリー映画を観た感想を次のように語った。 

 

 ――ここで、私の心を捕らえた画面があります。あたり一面の瓦礫の中に、一本の桜の木がぽつんと立っていました。津波にさらされながらも生き残り、また美しい花を咲かせているのです。この絶望の地にあって、この桜の花はまさに『希望』ではないでしょうか。やがて被災地に訪れた春に、町に残った桜の木には次から次へと花が咲き始めました。被災地の方々は、「こんな時でも綺麗に咲いたね。この桜の木を見習ってがんばらないと」と復興への決意を新にしたのです。津波にさらされても美しい花を咲かせようとする桜と、絶望のふちに立たされても明るく前向きに生きようとする被災者たちの姿とを重ねあわせて、私は感動しました。 

 

こうしてAは、中国人にとって切実感のない『希望』というテーマを、日本人の心の中に飛び込んで活路を見出そうという戦術を採ったのである。この発想は見事であり、就中、『サクラ』と絡めた話を聞けば、相好を崩し、涙腺が緩み放しの多くの日本人(審査委員)にはうってつけの発表だと思う。いや、こう考えたのは、『スピーチコンテストに勝利するためには、発表内容を如何に組み立てるべきか』を、常に思案している計算高い日本人教師の私であって、純情なAはあの映像を観て感じたことをそのまま素直に語っただけなのだが。 

 

 Aは学内予選で最高点を得て、もう一人のBと共に代表者に選ばれた。

 そこで、計算高い私は、大会に臨むにあたって、Aにひとつだけ忠告しなければならないことがあった。

 『希望』と大震災を結びつけて発表したのは、我が校ではA一人であった。しかし、おそらく、この話題は誰でも考えつくことであって、本大会では同じような内容を発表する者が必ず数人はいることを覚悟しなければならないだろう。

「だから、ライバルに勝つためには、発表内容にもう一つ<プラスα>を考えて、バージョンアップを目指すべきだろう」

 と、私がいった。

 Aとそのプラスαをめぐって議論が続いた。

 結論は、やはり桜をめぐる話題で雲南と日本を結びつけながら、以下のようにフィナーレを締めくくることになった。

 

 ――長かった冬から目覚めて、年の始まりの春を象徴する桜は日本人にとって明るい希望と勇気をもたらす心の故郷です。桜は遠い昔にヒマラヤが起源で、その後ここ雲南省を通って最後に日本に伝わった植物だと言われています。昆明の桜は今満開です。それを眺めながら私は、地震と津波にも負けずに美しい花を咲かせた桜の木が、被災者を勇気づけ正に『希望』を与えていることを強く感じます。

 

 もう一人の代表者Bは、一家の担い手である父が病気で倒れてから回復するまでの経緯を語った。いかにも女学生らしい細やかな家族愛を謳い上げている佳作であった。しかし、スピーチコンテスト向けの題材としては、スケールが小さすぎることと、文学少女風の飾りたてた誇張が鼻につく欠点もあった。「父は我が家の希望であり、太陽です。父が病気から回復したとき、再び太陽が昇り、まぶしかった」と言っている。もし、私が娘から『お父さんは太陽です!』などと言われたら、気恥ずかしくなって逃げ出してしまうことだろう(勿論、男子学生が父親に対して歯の浮くような言辞を弄したら、激しく叱りつけたい!)。しかしそう思うのは、私が男だからであって、母親の目から見たら異なる感想もあるだろう。審査委員の中には女性もいることだろうから、大会審査委員の判断にゆだねたいと思った。

 かくして、大会までの約一ヵ月間、二人に直接会ったり、『Skype通信』(インターネット電話)で即席スピーチなどの訓練を重ねた。

 

 春爛漫の4月6日、キャンパスにはサクラが咲き乱れている中で、『第五回彩雲基金スピーチコンテスト』が我が校で開催された。

 

 

 

 この日まで、開催校である我が校の日本語科教師は大会の成功に向けて、教務主任を中心に準備に大忙しの毎日を送っていた。それと比べて、わたしは発表者二人の指導だけであり、それが終わったので、発表会当日は何もすることがなかった。たまたま、わたしは、スピーチの発表者の控え室で見張り役をすることになった。突っ立って室内を眺めているだけで、何もすることがない閑職だが、この見張り番をしていると、会場の発表者のスピーチを聴くことができないのだ。結局、AとBの発表すら聞き逃してしまった。

 しかし、テーマスピーチ発表後、ある人から、

「二人は落ち着いて発表していた。とくに、Aさんの発表はよかったと思う」

 と聞いて、私は満足した。

 ――Aと競合する内容を発表したライバルはそれほどではなかったようなので、Aは上位に食い込んだに違いない。あとは、即席発表の成功を祈るのみ!

 と、期待に胸ふくらませていた。

 

 いよいよ、即席発表がはじまった。審査委員が考えたテーマの幾つかの中、一つを発表者がクジ引きで引き当て、15分以内に発表内容をまとめ上げるという過酷な試練が待ち受けていた。

 たとえば、テーマの一つが『男と女』であった。それを、三、四人が引き当てて発表した。

 ある学生は、『男女平等』を主張していた。

 また別の学生は、日本の和歌の歌人を男女一人ずつ紹介していたが、殆ど結論のないまま尻切れトンボに終わっていた。おそらく、あらかじめ即席発表の内容を準備しておき、むりやり『男と女』のテーマに結びつけようとしたのだろうが、こじつけだけでは高い評価にはならない。私には、これら二つの発表を合わせた形にすればいい発表になっただろうと思えてならない。たとえば、以下のように。

 

 ――中日ともに長い間男尊女卑の伝統が続いていた。この女性差別は男中心の社会が意図的に作ったもので、誤りである。じじつ、芸術の世界では、女性歌人が男性歌人に劣らない優れた和歌を創っている歴史事実が証明しているように、女性は決して男性に劣ってはいない。男女に能力の差は本来無いのだから、これからの社会は、『男と女』が互いに理解しあって、男女平等を目指すべきである。

 

(だが、こんなことを考えつくのは会場で余裕を持って聞いているからであって、緊張のなかで僅かに15分内に考え出さねばならない発表者には、とても困難な作業であることを理解してあげたい)

 

 さて、Aの発表がはじまった。可もなく不可もない発表であったので、最後をうまくまとめて終わって欲しいものだと思った。ところが、Aが最後をモタモタしているうちに、制限時間3分を越えるベルの音が会場に鳴り響いた。

 その音は、鋭利な刃物のように我が心臓にブスリと突き刺さった。

 ――しまった!

 と、私は心のなかで叫んだ。

 ベルの音の後、Aは間もなく(3、4秒?)話し終えたが、時間超過はマイナス1点となり、これが彼女の致命傷となった。

 結果は、2位にわずかに「0.4点」劣り、3位になったのだ。こうして、Aは副賞の『一週間の日本旅行』のチャンスを逃してしまった。しかし、誰が彼女のミステイクを叱ることができるだろうか。Aは優れた課題発表にはじまり、よく健闘して上位入賞を果たしたのだ。わたしは、彼女を褒めてやりたい。

 Bは16人中、10位であった。この結果も順当なところだろう。

 こうして、二人は上中位に入る健闘をしたと思う。と同時に、まだ上があるという意味では、これに満足してはならない。

 私には経験がないが、開催校には大会までの準備や当日の滞りない運営などで、多大の負担と責任があるのだろう。その教師たちの労に報いる唯一最大の方法は、自校の代表者が大会で立派な成績を挙げることである。その意味では今回のAとBの健闘は大会に花を添えたと言えるだろう。我が校は主催校としての面目を十分保ったのだ。

 

 以上が、代表二人を指導した私の報告である。

 最後に、もう一つ書き加えておきたいことがある。

 今大会は終わった。しかし、来年に向けて私にはやらねばならないことがある。

 今回出場した3年生の二人に、新任教師の私は授業で会話や作文の指導をしていない。だから、二人の健闘は前任の日本人教師を含め、日本語科の教師の指導によるものである。私が二人にしてやったことと言えば、大会前、ほんの一ヵ月間、間に合わせ程度の指導をしたにすぎない。

 しかし、来年の『第六回彩雲基金スピーチコンテスト』に向けては、わたしは、そのようなことを言っていられない立場にある。つまり、来年中心となって活躍すべき学生は、現在私が会話と作文を指導している2年生に負うところ大であるからだ。現在わたしは、会話の自主授業をしている。それに参加している学生20名ほどは、正規の授業だけでは物足らないと積極的に参加している者たちである。わたしは、機会あるごとに、

 ――これまでの先輩以上に高い日本語会話能力をつけるように努力しなさい。私もその積もりで精一杯指導する!

 と、叱咤激励してきたのだ。

 だから、来年の大会への出場者はこの中にいるはずだ、と期待している。

 そこで、わたしは、彼らに「来年、是非、学内予選大会に出場したいと思う者は書面で意思表示せよ」と指示した。その結果、出場を積極的に希望した者は、わずかに3名(今年学内予選に出場した者だけ)に過ぎないことを知って、私は愕然とした。そこで、見込みのありそうな優秀な者6名に個別面談して説得を試みた。すると、6名全員が出場を約束したのだ。

 ――自ら強い意思を持たず、教師の説得には易々と応ずるとは何事か!

と、不満には思うものの、これが現代の若者の姿勢である。

 もしかしたら、あの大ホールに多数詰めかけた観衆の中、ステージ上で孤独な戦いを演じている発表者を観ていて、尻込みしてしまったのか? その気持はよく分かる。だが、教師としてはそこを押して学生を説得しなければならない。わたしは、以下のように学生に伝えたい。

 

 ――スピーチコンテストは皆さんにとって、計り知れない利点があります。まず、出場するために作文力と会話力を試すいい機会となる。また、代表者に選ばれたら、教師から発表のためのあらゆる指導を受けて、皆さんの日本語能力を向上させる訓練となります。さらに、大会の会場で大勢の人前で発表するまたとない経験になるし、胆力をつけるいい機会でもあるのです。上位入賞したらいっそう自信が湧いてくるし、不幸にも入賞できなかったときには、広い世間には、もっともっと優秀な人がたくさんいることを肌で感じて、いっそう頑張ろうと決意するきっかけとなりますよ。しかも、利点はそれだけにとどまらない。学校代表で大会に出場したこと、そして幸運にも上位入賞したら、将来就職するときの履歴書にも書いて自己の日本語能力をアピールできます。

 だから、スピーチコンテストに出るかどうか迷ったら、躊躇なく出場を選んでください。人生には、前へ進むか、思い止まるかの選択を迫られることがよくあります。前に進んだために失敗して惨めな思いをすることがあるかもしれないが、失敗を恐れてチャレンジしななければ、何事もおこらない。新たな発展や成功の道は拓かれませんよ。スピーチコンテストはその人生の第一回目の試練だと思って、果敢に挑戦して欲しい。

 

 わたしは間もなく70の齢を重ねる。いよいよ8年間の中国での教師生活を切り上げて日本に帰らなければならないだろう。それだけに、最後の教え子となる現2年生の9人に期待している。彼らがA先輩のあとを引き継いで、立派に活躍することを祈っているのだ。そして、大会で2位以内に食い込んで、来年の今頃、日本に来たときに私と再会できれば、と密かに願っている。(了) 

                                 

【追記】その後、次年度のスピーチコンテストについて、9人の学生、誰一人からも何の報告もない。誰が学内予選に出場したのか、誰が大学の代表に選らばれたのか、そして大会に出場した結果は?ーーこれらに関する一切の報告をうけていないのだ。私の在任中には、少なくとも9人に対しては激励し続けていたので、ちょっと寂しい気がする。しかし、それは彼らに不満を言うより、彼らへの影響力不足であった私を責めるべきなのかもしれない。(2015年6月記す)

 

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