8 外国に住むことの難しさ

つれづれ草の『高名の木のぼり』

A 安全と思うときこそ気を引き締めよ

 つれづれ草第百九段に『高名の木のぼり』がある。要約すると、

 ――木登り上手の植木職人の親方は、弟子が高い木の上にいたときには何もいわなかったが、降りてきてもう安全だと思える軒の高さまで来たときに、「注意しておりろ」と声をかけた。その理由を親方から聞いた兼好法師が、いたく感心したというエピソードである。

つまり、人は危険を感じているときには十分用心するからミスがないが、安全だと思って気がゆるんだときこそ、危険がぽっかりと口を開けているのだという戒めを説いている。

 私は中国に職を得て赴任するときに、友人から忠告をうけた。

「中国は改革開放が進んでいるとはいえ、共産主義国だ。言動にはくれぐれも注意を!」

もちろん、私も十分承知しており、注意深く生活してきた。

ところが、一年がすぎて、18人の学生と公私ともに親密な関係を続けているうちに、ついつい気を許してしまい、緊張感が薄れてしまっていたようだ。

 

 中国で新聞もテレビも見ない私は、情報の飢餓状態にあったが、幸い日本には日中の各種情報をメールで伝えてくれる友人がいる。新聞はコピーしてjpegの添付ファイルにしてEメールで送付してくれた。私は、二年生の会話授業で、日本の生きた教材として、友人が送ってくれた新聞を読ませた。

 

 それは、北京で開催された日本の国会に相当する全国人民代表大会(全人代)の内容と、その大会中に発生した反政府デモの様子を伝える記事だった(京都新聞、2006年3月7日、『表層深層』のコラム)。大見出しに、『貧困・腐敗うめく7億人』とあり、小見出しには、『成長の置き去り中国農民』と『指導部政策に不信感』とあった。また、写真が掲載されており、そのキャプションに以下のように書かれていた。

 --全人代が開かれようとしている北京市内で政府の腐敗を訴えようとしたものの、警察官に阻止されて泣き崩れる女性=6日(共同通信)

 

(注)後日、本記事をホームページに記載したいと考えて、京都新聞社編集管理部に転載の許諾を願い出たところ、新聞記事の写真コピーを許諾ないまま授業の教材に使うのは『無断使用にあたる』との連絡があった。無知故とはいえ、無断配布をしてしまったことを京都新聞社にお詫びいたします。

 

これだけでも記事の内容は容易に想像できるであろう。

私は、日本の新聞が国内外のあらゆる事件を包み隠さず報道することを伝えることと、専門用語に触れさせながら日本語の新聞記事を読む訓練をしたかったのだ。

学生はこの程度のことは、先刻承知のはずだ、と私は思っていたが、あとで思えば、警察に追い詰められて路傍の鉄柵を握って泣き叫んでいる農婦の生々しい写真に、ショックをうけた学生もいたかもしれない。

学生には自国の身近な問題であるので、活発な議論があるだろう、それが会話授業としての意義だ、と私は期待したが、あまり発言は無かった。一人だけ質問した。

2000年時点で、農村人口の約8%に当たる6,700万人が字を読めない、と書いてありますが本当ですか?」

 日本で言えば、人口の約半数が文盲という数字だから驚くべきことである。

 また、中国では毛沢東の共産主義革命以来、人民があまねく義務教育をうけていると学校で教えられているはずなので、近年に至っても、この膨大な数の文盲がいるという記事は、学生には信じ難いことだったのかもしれない。

 私は答えた。

「日本の新聞は嘘を書きません。ただし、百%正しいかどうかは、私も確認しているわけではないので、わかりません。あなたは、疑問があれば、インターネットや統計の本で調べて確認してください」

 こうして、授業はおわった。

 ところが、その日の夕方、外事処の張科長が私の宿舎に駆けつけてきた。

「先生、授業であんな教材を使ってもらっては困ります」

「ああ、そうでしたか・・・・・・」

「二度とあのようなことをしないでくださいね。お願いしますよ」

「はい、わかりました。申し訳ありません」と、私は深々と頭をさげた。

 張科長は日本語科を除いて、学内で唯一日本語が話せる人であった。また、私の人事に関わる権限を持っている部署の責任者でもあるので、彼女とは親しいお付き合いがあった。だから以上のことでも、私に命令口調ではなく、穏和な話し方をしていた。それは、この婦人の人柄にもよるものだろう。

 しかし、外事処の所長は、

 ――とんでもないことをやらかす外人教師がいるものだ。今回だけは大目にみてやるが、二度とこんなことをやったら、許さないぞ!

 くらいのことは思っているだろう。

 私はしばらくの間は落ち込んだ。それは、外事処から咎められたからというより、むしろ、この大学に来て一年有余、公私ともに尽くしてきたつもりだし、それによって揺るぎない信頼関係ができていると確信してきた学生を疑わざるを得なくなったからである。

 やっぱり、ここは共産主義国家だ。教室内に一人か二人スパイがいるのだろうか?

 だが、一週間もすると、そんな考えが薄らいできた。

 たぶん、だれかが、授業中の新聞内容で、

「農民の文盲率が8%だそうだが、本当だろうか」

 と誰かに聞いたことが回りまわって外事処に届いた、といったことではないだろうか。18人の学生が私を売るようなことは決してない、と思うようになった。

しかし、そうであっても、『郷に入っては郷に従え』という諺もある。学生にとっては自国の政府を批判されるようなことを外国人に面と向かって言われたくないと思うのが自然の感情というものだろう。今後、政府批判になるようなことは授業でも扱わないし、話さないようにしよう、と私は決意した。  

 

B 平和ボケした私

 共産主義国を甘く見たことによる失敗を前節で紹介した。

 それは、単に主義主張の異なる外国に住むことの困難さだけでなく、日本という平和で治安のよい国からそうでない国に住むときの心構え、つまり発想の転換が必要であることをも意味している。

ここから書くことも西安で経験したことだが、私は典型的な『平和ボケ』した日本人のまま中国にきてしまったように思う。中国人には日帝の侵略への恨みがいまだに消え去らず、反日感情が民衆の中に深層心理として残っている。それが、日本の政治家の言動に触発されて反日運動として沸騰するのだ。

私が西安に赴任した翌年、2005年の春に、小泉首相が靖国神社へ参拝したのを契機に反日運動が起こった。広州市や深圳市のような中国南部の都市から始まり、徐々に燎原の火のように全国に広がって西安市にまで及んできた。

 このような時に大学内では、共産党地方政府の出先機関のようなコワ~イ部署といわれている『外事処』が学内対策を取り仕切ることになる。反日デモが西安市で予定されている前日に、外事処の張科長が私の部屋に来ていった。

「明日は、絶対に部屋をでてはいけません。食堂にも行かないでください。なんなら、私が食事を運びますから」

 張科長は例外的に日本語が話せる人で、私を懇意にしてくれたが、このときは、私への親切心というより、外事処の沽券に関わる重大事として、日本人教師を護らねばならないと考えていたのだろう。

それから、と彼女はこうもいった。

「今後、反日感情がどこまでエスカレートするか予測が困難です。最悪の場合には、森野先生、あなたには日本へ帰ってもらわねばならない事態もあり得ますので、そのおつもりで」

 私はすでに二年目の継続採用が決まっていたので、これには困惑した。私はひたすら事態の沈静化を祈るばかりであった。今回の反日運動には、小泉首相の靖国神社参拝だけでなく、日本が国連で拒否権のない常任理事国入りを画策していることへの反発もあった。

張科長が来る数日前に、キャンパス内を歩いていたら、学生グループが反日キャンペーンの署名活動をしているのに出くわした。私は英語の話せる学生をつかまえて、日中の政治問題を話し合ったりもした。彼らは決して過激な反日主義者ではなく、私とはとても友好的な雰囲気で話ができたのだが。

 また、授業中にも私は学生にいった。

「私も小泉首相の靖国神社参拝には反対だ。日本人の中にも反対する人がたくさんいるよ。ましてや、きみたち中国人が、日本の首相に猛反発している気持はよくわかる。だから、西安のデモに参加したいと思う人がいれば、行ったらいい!」

 ところが、事態は、私が馘になりかねないところまで急変しているのだ。私はなんと能天気な人間だろうか!

 幸いにも反日運動はほどなく沈静化して平常に戻り、私の継続採用も予定通り可能となった。

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